子供の頃より釣り好きの父に連れられ、鮒・ヤマベ・ハヤ・へら鮒・黒鯛の夜釣り等と色んな釣りを経験して来ましたが、15歳の時に父・兄に連れられて木更津A堤防に行ったのが「ヘチ釣り」との最初の出会いでした。 その日は夕方数時間の釣りでコショウダイしか釣れませんでしたが、2回目の釣行で黒鯛を釣って感激したのを今でも覚えています。その後あの山下正明氏といつも競い合っていた兄の影響もあり高校を卒業したS52〜3年頃より本格的に落し込みにのめり込んでしまいました! 木更津通いをしていたそんな折都内の中央防波堤でも釣れる事を知りその後は主に都内のポイントで黒鯛との時間を楽しんでいます(四半世紀以上も.^.^)

平成11年〜は「ボートからの落し込み」も始めてます、何しろ6月〜11月頃までの日曜は湾奥にいる事が多いので見かけたら声を掛けてやって下さい。
                            
                                               真夏のパイプ堤防
                                               
                                          若かりし頃赤灯(今より長くポイントも多かった)にて
                                                                  午前中の釣りで3人で30数枚が記録かな

                                                                    
                                                                               
*昭和40年代後半の道具(木更津)*
竿  
殆どが手作り(竹・穂先はグラス削りだし)で七尺程度の長さで全体が黒の漆塗りが多かった。、勿論竿師成作の高価なのを使っている方はいましたが。 ガイドは何しろ小さい物が主流でなかなか手に入らず探し回ったものです。

リール
富士の小型リール(白・青・黒)を上向に付けてました、ですから魚を掛けると左手に持ち替えてのやりとりで、、 その後下向きに付けてVP〜FPRと流行が変わっていきましたが私は木製が好きだったので重利作等を好んで使ってました。

仕掛け
色付きの道糸など無くナイロン3号で二広程度を蛍光塗料を塗って使ってました、その後ゴールドストレーンの8ポンド(黄色)に変わっていきました。
ハリスはナイロンの0.8〜1号を一広半程とってましたが今と違い弱くよく切れたものです。シーガーを初めて使った時は強くて驚いたのを思い出します。
針は海津の11号〜もしくは伊勢尼針。
餌は豆蟹・エビが主流でその後横浜のW氏兄弟そして黒友会二代目会長そして現会長の山下氏、小生の兄等がツブでの数釣りが始まりツブを使う人が増えてきました、当初はツブを使ってる人達のあいだでは通称ブラックと呼び合っていたのを思い出します。初めてツブを使った時は入れるたびに一広位で竿先に乗るアタリの連続で驚きました、合わせが分らず連続5回目位でやっと掛けたのを昨日の様に覚えてます。

                    
                                             

黒鯛師の独り言
「2022 早い梅雨明けでハイシーズンも長そうです頑張っていきましょう!。」

高知の名人西田氏 60cm 凄い!!

2018の東京湾は大型の真鯛も多かったです。



                                           釣行記(更新中!)
                           
                                                     
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